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山西省考古研究院、北魏家族墓の発掘情報を公表

 

北魏家族墓地から出土した副葬品の鐎斗(しょうと)。(資料写真、太原=新華社配信)

 

 【新華社太原10月24日】中国山西省考古研究院はこのほど、同省南西部で初めて発見された北魏時代の家族墓地に関する詳細情報を発表した。墓地はさまざまな文化が相互に融合する様相を反映しており、北魏が洛陽に遷都し、東西に分裂するまでの北魏洛陽時代(493~534年)の埋葬文化の差異を研究する上で重要な資料になる。

 

北魏家族墓地から出土したれんが墓誌。(資料写真、太原=新華社配信)
 墓地は山西省侯馬市虒祁(しき)村附近にある。2014年9月~15年7月にかけて発掘調査が実施され、漢、北魏、宋金各時代の墓計37基を発掘した。うち、北魏墓は4基ある。

北魏家族墓地から出土した副葬品の磁器製唾盂(だう)。(資料写真、太原=新華社配信)
 同研究院科学研究管理部の段双竜(だん・そうりゅう)副主任によると、4基のうち1基は北魏色が最も濃い傾斜墓道を持つ台形土洞墓(どどうぼ)で、3基は洛陽遷都後に流行した傾斜墓道を持つ単室磚室墓(せんしつぼ、れんが墓)だった。磚室墓のうち1基は同省でこれまで発見数が少ない北魏洛陽時代の紀年墓(出土遺物などに造営年代が記されている墓)で、墓群の年代を断定する直接的な根拠となった。出土した墓誌によると、同墓の造営年代は熙平元年(516年)で、被葬者は官職在任中に死亡し、37歳だった。

北魏家族墓地から出土した副葬品の磁器碗。(資料写真、太原=新華社配信)
 墓地からは陶器や磁器、漆器、銀器、銅器、鉄器、れんが墓誌など40点余りが出土した。

北魏家族墓地から出土した副葬品の陶灯。(資料写真、太原=新華社配信)
 段氏は、墓地の墓葬形態が北魏の特徴と自身の特色を合わせ持っていると指摘。動物の殉葬や上部が大きく下部が小さい逆台形型のひつぎという鮮卑族の風習を残しつつも、出土器物は南朝の風格を備えており、民族融合の様相を反映していると語った、別の専門家は、3基の被葬者が若い成人男性で、慌ただしく粗雑に埋葬されていることなどから、墓地と当時の政治事件との関連性を指摘している。(記者/王学濤)

北魏家族墓地から出土した副葬品の緑釉陶壺。(資料写真、太原=新華社配信)

北魏家族墓地で見つかった紀年墓の墓室。(資料写真、太原=新華社配信)

北魏家族墓地で見つかった墓の墓室頂部。(資料写真、太原=新華社配信)

北魏家族墓地から出土した副葬品の鶏首壺。(資料写真、太原=新華社配信)

北魏家族墓地から出土した副葬品の盤口壺。(資料写真、太原=新華社配信)