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日本が生んだ万能の天才「空海」の哲学を、今考えるということ 空海思想の核心「即身成仏思想」とは

竹村 牧男
プロフィール
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宗教面のみならず、文化面、社会面でも不世出の才能を発揮した弘法大師空海は、日本が生んだ「万能の天才」と言って過言ではないでしょう。
しかし、空海の思想の実体については、あまり知られていないのではないでしょうか。空海の哲学のエッセンスとは何なのでしょうか? また、今、空海の哲学を学ぶ意味とは何なのでしょうか?
これらの問いをテーマとした竹村牧男氏の近刊『空海の哲学』から、その一部を紹介します。
「万能の天才」空海
空海(774〜835)は、日本仏教界の最高峰と言っても過言ではないであろう。平安時代、唐に渡り国際都市・長安まで達して、当時、最新の仏教であった密教を恵果阿闍梨(746〜805)より余すところなく継承してこれを日本に伝えた。

帰朝後、その密教を広める活動を精力的におこない、その後の日本文化の形成に大きな役割を果たした。都から遠く離れた山岳地帯の高野山を拓いて自己の本拠とし、一方、朝廷から都に東寺を賜って護国の道場とした。金剛界胎蔵界の両部の曼荼羅を将来し、密教の奥深い哲理を多くの著作に示し、密教儀礼や独自の修行を指導し、寺院建築等にも長安での見聞を生かして指揮するなど、時代に新たな仏教を訴えた。

東大寺別当になるだけでなく、南都仏教界のほとんどを密教化してしまった。宮中にも親近して受容され、密教により国家の安寧を祈る修法の恒例化にも成功した。

また空海は、仏教の偉大な祖師であるだけでなく、詩文に秀で、さらに書に優れていることは誰もが知っていることであろう。『文鏡秘府論』という、本格的な漢詩論の書物も著している。一方、空海の書は、多彩な書法も披露されているが、『風信帖』などの格調高い書は、後世の書家のほとんどすべての人を魅了している。

のみならず、広大な満濃池の修築工事を担当するなど、さまざまな社会活動も展開した。日本で初めての庶民のための学校、綜芸種智院を開設したりもした。真偽のほどは定かでないが、「いろは歌」を作ったのは空海であるという。いかにもありそうな話である。

そのように空海は、宗教面、文化面、社会面等において、すべて尋常ならざる大きな活動を果たしたのであり、その並外れた天才ぶりには定評がある。

日本人の尊敬を集めてきた空海
また、そのあまりにも偉大な人間性のゆえに、空海自身が崇敬の対象となり、南無大師遍照金剛の宝号を唱えればどんな望みもかなうとの信仰も広がった。さらにお遍路のような魅力的な巡礼の場も形成された。

日本では歴史上、大師号を授与された名僧は少なからずいようが(貞観8年〈866〉の伝教大師最澄、慈覚大師〈円仁〉から、大正11年〈1922〉立正大師日蓮〉まで、20数名いるという)、お大師様といえば、すなわち空海のことである。「弘法は筆を選ばず」とか、そのお大師様をめぐるさまざまな逸話が人びとのあいだに行き渡っていった。あるいは、その地の温泉を開いたのは空海であるとの伝承は、全国各地に残っている。

このような空海の偉大性を、多くの人びとが讃嘆し、尊崇してきた。