唐長安城大明宮遺跡 麟徳殿の日本宮殿建築への影響
大明宮の再現模型
後ろに並ぶ高層ビルと対照的な光景
唐の政治の中心
唐長安城大明宮遺跡は唐長安城の三大宮殿(三大内:太極宮、大明宮、興慶宮)の一つで、634年に建設されて以降、戦火に焼かれるまで200年あまり、唐の時代の政治の中心となりました。
広大な敷地と国を挙げた遺跡保護
「シルクロード:長安―天山回廊の道路網」は2014年に世界遺産となりましたが、陝西省にはこれに含まれる7箇所の遺産があり、唐長安城大明宮遺跡はその一つです。シルクロードが繁栄した時代に栄えた長安の都を代表する遺跡です。
この遺跡は、1957年以後発掘調査が進められており、現在の遺跡は2010年に遺跡公園として開放されたものです。唐の時代以降の宮殿建築として模範的なもので、重要な遺跡保護プロジェクトとして国務院から「重点文化財保護部門」として認定され、シルクロードの世界文化遺産における大きな構成要素となっています。
遺跡の敷地面積は3.2平方キロで、北京故宮のおよそ4倍です。この広―い敷地をどう回るのかと不思議に思っていたら、目の前に移動専用の電気カートが現れました。ほっと一安心。
電気カートで一周
大明宮は含元殿、宣政殿、紫宸殿の3つの正殿がある政務エリアと、太液池を中心とする居住エリアの2つに分かれています。その中で麟徳殿は、宴会や面会の場として使われました。9世紀初めに建てられた京都の豊楽院(ぶらくいん)は平安宮大内裏で朝廷の宴会に使われた場ですが、この特殊な機能は大明宮の麟徳殿を直接模倣したものだと言われています。さらに、日本の学者町田章氏によると、豊楽院の形状と構造も麟徳殿をモデルとして建てられたものだといいます(大明宮遺跡博物館の展示より)。
麟徳殿に関する展示の多くは、日本と深く関わりがあるものでした。京都から遠く離れた西安という地で日本宮殿建築のルーツを発見し、宮殿はもう残っていないけれども広大な遺跡公園をめぐりながら、心は唐の時代へとタイムスリップしていました。(林)
日本平安宮における主要宮殿位置に関する展示
豊楽院の復元図
麟徳殿にて唐の第12代皇帝である穆宗が数々の演技を鑑賞する様子を表した絵
絵中央には相撲らしきものも見える
麟徳殿にて中国唯一の女帝である武則天が日本からの使臣を迎え宴会を行う様子の再現